確かに、行ってみたらとっても感じのいいかっぷくのいいすげーでっかいおっさんが出迎えてくれた!デーブさん😊 友達とわたし予約してなかったけど、一部屋にベット二つある部屋を貸してくれた。いくらだったかな?確か一部屋それか1人かな?70ドルPer weekだったかな?忘れてしまった。ほらね、人間の記憶って当てになんないでしょ?
それより何に驚いたか!わたし英語できない、しかもおっさんが言ってること全くわかんないーーーーっ。しかも、オーストラリアのアクセントがアメリカ英語が耳に慣れるわたしにとってもう・・・このアクセントが曲者〜。
デーブさんPayと言ったのにわたしには”Pie”にしか聞こえなかった😅 しかも英語できないから全く前後の話からもこれがPAYとは予想もできない・・・。いや〜こんなんで大丈夫なのかね?って今のわたしは思うけど、当時のわたしはまーったく心配もしてませんわ✌️
とりあえず、住むところ確保!バスであったお兄さんいい人でよかった〜。この時、このバッパーはとにかく国際色豊かでいろんな国の人がいた!その中でも日本人が結構いたので、余計快適に感じてしまった。しかも、友達という通訳付き😁あー楽しい💕
ついた日が日曜日で、サーファーズに今はもうないけど、Shootersと言うクラブがあってここで日曜日ビュッフェ式のFREE MEALがあると!バックパッカーの人がここにステイしている人を連れて行ってくれた〜。なんかここに来てからいいことばかり。
なんか、カタコト日本語話す人がいて『道を渡ろうぜ〜』って言ってる?
そうなんです!このカタコトの日本語を話す人・・・この人が後のわたしの夫になる人😳
タダ飯は、まータダだからね。こんなもんと思うけど、そこで飲んだりビリヤードしたりと結構楽しみました。英語できなくても意外と飲んじゃえばいけるもんだなって→わたし酒弱いのにね😅
こうしてオーストラリアについて4日後1996年2月18日未来の夫に出会ってしまったのでした!!!めでたし、めでたし?だったのかな〜😂
-To be continued-
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