寒い寒いと言って思い出した場所〜!!山形県の山寺😍
わたしの母の出身地は山形県!山形と言えば・・・さくらんぼ?ぼんち?蔵王?ずんだ餅?おかま?あげたら結構たくさんあるか〜そして山寺です。 登山口から1070段以上の石段!絶壁の上にお堂が建つ山寺は、山形県の観光地の一つ。 松尾芭蕉が「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」という俳句を詠んだ地としても有名です。芭蕉さんは夏に登ったんだろう・・・わたしは両親と兄の家族と一緒におばあちゃんを訪ねたのは、11月から12月にかけてくらいだったかな? 背景の山に雪化粧されているから相当寒かったよな。でも、あの階段を上り切った達成感と景色に魅了されて寒さも疲れもぶっ飛んだ!「山寺」は通称で、正式には「宝珠山 立石寺」という歴史あるお寺なんですね😍 いや〜懐かしいと言うよりも何したっけね?って覚えてないんだけど・・・確か登る前に玉蒟蒻食べて〜それから、何が待ち受けているか分からず石段を上り続けたんだっけ。当時、夫もわたしも少々オーバーウェイト。あ、やっぱり夫はかなりオーバーウェイトだった・・・130キロあったな😳 石段上りながらヒーヒー言ってたわ!わたしと2人だったら間違いなく、もう上りたくないって言ったはず。みんないた手前頑張って登ってたけど、あの絶景を見たら、上った甲斐あったって喜んでたっけね😁 結婚するまで、わたしって大して国内旅行もしなかった。日本に興味なかったからね〜小さい時から外国かぶれ!早く日本を脱出したい願望が強くて、日本のこんな綺麗なところすら目を向けることもしなかったことを後悔したよ〜😭 どんな国もまだ手付かずで綺麗な自然がいっぱい残っているんだろうな! わたしにとって、国外に出たこと、国際結婚をしたことで日本の素晴らしさを改めて感じることができてありがたいです🙏 それがなければ、今も日本の素晴らしさを分からずに日々生活に追われて生きるわたしだったかもしれない・・・ それから、息子が生まれて5、6年後におばあちゃんも亡くなり・・・おばあちゃんは、10月の終わり頃にこの世を去ったんですけど、この時期に山形へ行くのはわたしは初めて。きっと違う季節もいいよと言わんばかりのおばあちゃんが最後にくれたプレゼント!この時期の山形の山々は紅葉がきれい〜😍今まで夏と春しか山形へおばあちゃんを訪ねたことがなかったけど、命の始まりと命の終わりの時期で違う季節に山形にいく機会をくれたことに感謝です🙏 山形ってじみ〜ぃな県だからね。馴染みのない人も多いかも?でも、素朴な感じが落ち着くし空気が美味しいしね〜。東北のズーズー弁😆 小さい頃は、特におじいちゃんが電話かけてきて親が話した後、子供達の声でも聞かせるか〜みたいにお母さんが受話器を兄とわたしに預けるんだけど、わたしには、それが恐怖でしかなかった😳 兄はわたしより4歳年上だから、いくらかじいちゃんの話を理解できるらしい、話中に笑ったりしてるから、そしてわたし?も〜ふらないでって毎回思って、ただただ幼ながらに愛想笑いしながらうなずくだけでした😓 だけど夫は、初めて山形に行った時、あまりの言葉の違いに大笑い〜😂😂😂 親戚)ほれ、こ、け、けー😁 (ほら、これ食べて〜食べて〜) 夫)???????? なに?😂 会話にはなりませんでした😂 夫でなくてもわたしも分からんわ!! 行ったことのある方も、ない方も〜是非、訪ねてみてください😊 -To be continued- 🔻クリックしていただけると励みになります🙇♀️ にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
父と母に送ったストレッチ首まくら〜
写真送ってくれてから、しばらく経っちゃったんだけど。先日、父の日だったから父と母2人に首のストレッチ用の枕を送ってみました😊 本当は旬の食べ物とかそんなのがいいかなぁって思ったんだけど、やっぱりこれからも元気に長生きしてほしいから、自分の体を大切にしてもらいたい気持ちを込めて・・・🙏 父は今年で83歳!うちは、決して裕福な家庭ではなかったけど、お父さんってどんなに安物を買ったとしても服でも、靴でも丁寧に手入れをして綺麗に使っていの。髪の毛もラッキーなことにふさふさ〜ぁ。いまだに美容院でパーマかけているのよ💕母も同じ。わたしも、どんなにお金が無かろうとできる限り自分に気をかけてあげる習慣を忘れないでいたい、おそらくそういう姿勢を両親が見せてくれているから、きっとそうなるだろうと思うけどね😊 夫がいつも言っていたっけ、わたしがオーストラリアであくせく働いている間息子と夫は試合で日本遠征があるとわたしの実家にお世話になるんだけど、『お前のお父さん、出かける前の支度がすごい、顔を洗って髪を綺麗に整えて・・・バシッと服を着て』あの歳でこういうことするところがすごいってさ〜😳 じゃ、あなたも見習ってください🙇♀️ 生まれてから死ぬまで一生を通して使う同じ体・・・大切に丁寧に手入れをして一緒に輝かしく生きていきたいですよね❤️ 自分の外見や体に文句を言いながら生きている人ーーーーーっ、お願い🙏 あなたに素敵なところいっぱいあるから見つけてみて〜、そしてそこを大好きになったら少しの気に入らないところなんて、気にならなくなるから! -To be continued- 🔻クリックしていただけると励みになります🙇♀️ にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
毎朝いただく贈り物💝
さぁ、毎朝無条件に宇宙からいただける贈り物ってなんでしょう? あさひです!!毎朝、毎朝登ってくる太陽です! 今朝、朝日が上る前に目が覚めてしまってね。そりゃ夜早く寝れば必然的に早く目がさめるに決まってる。そして、朝晩寒くなった冬・・・トイレにもよく起きてしまうというね。いやでも起きてトイレまで数十メートル歩くのだ。 夫も目が覚めてコーヒー淹れてる。んじゃ、わたしも〜。え?まだ6時前じゃん! 私)6時半過ぎくらいに日が上るよ〜。だいぶ空がオレンジになってるけど? 夫)お、じゃビーチにでもサンライズ見に行こうか! ってな話で、朝の気温10度🥶 キャラバンパークでCoffee Vanを営業してるんでそこでもコーヒー買って〜ちなみにこのコーヒー屋さん5時半にはオープンしてますよ〜@MainBeach寒かったけど、空の色が綺麗なこと〜たくさん、朝日が上がるのを見にきている人がいるし、意外と朝のビーチは人がたくさんいる! 刻々と色をかえ太陽が登ろうとしている付近はオレンジ色が強くなって、周りの淡いブルーピンクの空が姿を消していく・・・本当に見ていて飽きないアートだわ💕 そう、わたしは毎朝見にきているわけではないけど、毎朝この贈り物をいただく人はたくさんいるんだろうな。きっと、毎日忙しく生活に追われながら生きていたらこういう光景を見ることも少ないだろう・・・。でも、気がついてほしいのは一人一人生き方は違えど、この毎日、毎日生きている中で人間はたくさんの間違いを犯すけど、太陽だけは一度の間違いもなく今まで毎朝時間がくれば顔を出してくれる。そして、この太陽がなければわたしたち人間、草木、動物、そしてこの世に存在するすべてのものは生きてはいけない・・・。 当たり前のように、朝登る太陽、本当は当たり前なんてない・・・この太陽に感謝をしながら生きていけたら、自分の生き方について意識を持って生きていこうって思えるのではないかな?こうしてわたしが生きているのも太陽のおかげ🙏 当たり前と思う生活をありがたいと思う生活に気持ちを変えるだけで、ほんの少し自分の周りに起きる出来事の一喜一憂しないで感謝の気持ちでいられるような気がする一時を過ごせて幸せ❤️ -To be continued- 🔻クリックしていただけると励みになります🙇♀️ にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
ある日をきっかけにわたしの中の恥ずかしがり屋が消えた日😁
そう、夫となる人と出会ってかくかくしかじかあったんだけど、そこはまた次の機会にでも・・・。簡単に言うとその後結婚、息子出産そして日本へ帰ってオーストラリアへ3年後に家族みんなで戻ったシドニーオリンピックの開催された2000年。 夫は日本にしばらく住んで日本語をかなり話せるようになった?と言うよりわたしの英語が上達しないから、彼が先に日本語を覚えてしまった😅 なんで、わたしの英語はお恥ずかしながら相変わらず進歩なしのまま。 時々1人でバスに乗る時も、運転手に聞きたいことがあって聞いても『お前の言ってることが全く理解できない。』って言い放たれたことも何度もあったな、その度に英語使うのが嫌だなって思うことが多くなってなんとか使わないで済む方法を考えながら毎日過ごしていた。今思えば信じられないんだけど・・・。 かと言って、特に不自由を感じていなかったんだけど、やっぱり夫は英語圏の人で結婚してオーストラリアに住んでいるにもかかわらず、英語これしかできないの?って自分でも自己嫌悪に陥るよね〜。 それでも、勉強なんてしないわたし!! 息子をデイケアに連れてったら先生と会話しなくちゃいけないし・・・色々なところで英語ができないところをダメ出しだれる!わたしの中で2人のわたしが葛藤する。こんな経験みんなしたことあるんじゃないかな?英語勉強しろよ〜ってわたしと、しなくてもなんとかなるよ〜というわたし・・・こんな毎日を送っていたの。 そんなある日、すごい光景を目の当たりにしてしまった!でも、これがわたしの中の恥ずかしがり屋さんを一撃してくれたーーーーーー🤩”Harvey Norman”というオーストラリアのお店があるんだけど、電化製品からソファ、ベッド家財道具なんかを売っている店。ここで、どこかでみたことのある日本人のおばさんを遠くに発見!!!店員さんとなんだかすごいやりとりをしている様子がうかがえる?面倒なんで遠目から見てるだけにしようって思ってたら、支払いのとこで並んでたら店員さんとおばさんが一緒にきてバッタリ遭遇しちゃったわ😳 おばさんいきなり夫に おばさん)このビデオデッキで日本のビデオ見れるかしら?(日本語で) 夫)見れるよ、ここに〇〇って書いてあるからね!(日本語で) おばさん、すごい元気に英語で店員さんに英語でこの表示があれば日本のビデオ再生できるって説明始めたんだけど、その英語が・・・ とんでもなくBROKEN ENGLISHじゃないですかーーーー! し・・・しかも、発音もめちゃめちゃジャパニーズイングリッシュ!それでも、全く気にせずガンガン攻めているおばさんを見てわたしはすごい勇気をもらった!!遠目で見てた時、すごいペラペラに話しているのかと思いきや、これだったんかい!それでも、店員さんタジタジ😅 これでも、いいんだ・・・これでもガンガン攻めていけばいいんだ〜。 わたしは、目覚めたわ。何をはずかしがってんだ?わたしは日本語は完璧に話せるし、他の言語を話そうとしているんだぞ?!間違えてもガンガンいけばいいんだ!変な自信がついたのか、自分を崖っぷちから突き落としてやったわ。ここから、ただひたすらに英語が理解できなければ聞く、ただひたすらに沈黙を守り、分かったら話に混じる。こんなことをずっと続けた結果今では、ペラペラ誰とでも話すおばさんになりました😁 息子にも、今も壊れた英語だけど勉強しなくてそこまで話せたらすごいよ。(じゃ、勉強したらもっとすごいのにね?)なんて言ってもらえるようになりました〜息子に褒められて喜ぶ単純な母親です😍 だから、英語話すのやっぱり苦手だなって思っている人。自分の中の恥ずかしがり屋さんを崖から突き落としてあげてください。大概みんな登ってきますから〜本当は自分はとても強いということを褒めてあげてください!わたしができて他の人にできないわけないです😊 恥はかいてかいて、かき捨てましょう✌️ -To be continued- 🔻クリックしていただけると励みになります🙇♀️ にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
私の過ごしたWH時代と今・・・
わたしが初来豪した27年前は、まだ日本人もたくさんいたし、旅行客もたくさん来ていた。でも、すでにいた人たちから言わせればだいぶ日本色も色失せてきていると言ってて本当に最後の出涸らしの状態だったのかもしれない。 こないだ話したけど、わたしは大してお金を持ってなくて働けばいいやくらいにしか思ってなかったんだけど、どんな仕事ができるんだ?何せ英語話せないんだから!!!まー毎日友達と暇つぶしにサーファーズをとにかくブラブラ歩いて〜当時は日本人相手のお土産屋さんもくっさるほどあって、そこでお土産の試食とか食べまくってた😅そして、お土産屋の前を通ったら”キャッチ”とう人が『お土産どうですか〜』みたいに声かけてきてね。わたしたちWHですけどから話が始まり仲良くなっていった。 だけどね、オーストラリアにきて日本人と仲良くなってもね?って思うけど、英語ができないわたしにとっては快適だったわね😜ある時、その昔カビルアベニューに日本語ペラペラの中国人オーナーのお土産屋さん”Only Aussie”があって、この店女の子がいないから、よかったら働かない?ってオファーが!!!もちろん、お金が底つきそうなわたしは二つ返事でOK。友達はちょうど日本に帰る予定(金持ちだからね、いつでも帰れる)があって、わたしだけ雇われた、ラッキー✌️ 英語できないのに、こんな簡単に海外でお仕事ゲットーーーー!こうして、主に日本人相手にお土産を売るってことで大して英語できなくても全然大丈夫👌外人のお客さん来たら適当に質問に答えればいいと・・・楽勝。しかも、当時のオーストラリアしかもサーファーズなんて、わたしが生きてきた東京とは大違いよ。うるさく言われることもなーんにもないと言う。わたしにぴったりの環境だわ😁 しかも、オーナーさん毎日スタッフにご飯ご馳走してくれるのよ!『今日はどこどこのレストランにオーダーしましょうか!』って具合でね。最高〜 今のWHさんはなんだか生活が違うわよね?わたしは、来た時海外旅行保険にも入ってないし、何も考えずに来てるもんな・・・。わたしぐらいか?それにしても聞く限りみんなかなり高額の保険に入ってきてるし、病気になってもさくらクリニックってところに行けばただで薬とかどんどんくれるって言ってたっけ?それもすごいよね〜😅そして仕事を探すのにも何件も履歴書(resume)配って・・・それでも仕事ないって嘆いているわ。家探しも大変みたいだしねぇ。 何が大きく違うか!最近のWHさんは結構英語勉強してきている!意外と話ができる!この段階でわたしとは雲泥の差が・・・みんなすごいねって思ってみてるけど?仕事もある程度英語できないと、日本食屋さんや日本人が経営しているような仕事って昔に比べたらほとんどないから、ローカルのどこかで働くしかないんだと思うけど、コミュニケーション取るのにやっぱり英語できないとアウト!だよね・・・よほど何かすごい特技とか資格持って引っ張りだこ〜?にならないと。それに住むとこだって、わたしはバックパッカーから出てから、シェアで友達とルームシェアして週70ドルだったけど、今は倍だもんね?もしオウンルームになったら300ドルぐらい払ってるもんね?もちろん、電気代やWifi込みだろうけどそれでもWHの仕事で稼いだお金ほとんど消えていく感じじゃないかね? だから、若い子達にはそれでも海外で生活したいと思うなら、もっと日本では絶対にしないような生活してほしいと思うのよね。まぁ、人それぞれ考え方違うしね、そんなこと思うことさえ余計なおせっかいだよ、おばちゃん😂 今これ書いて思ったわ、わたしもそうだったけどただ単に英語ができるようになりたければね、わたしみたいに男(女)作って付き合っちゃえばいいのよね?だって最初の頃は懸命になってコミュニケーションとりたいから頑張って勉強するもんね?目的を持ってしっかりそれに向かって進むことが人生うまくいくポイントの一つかな?わたしは、これと言って目的は明確ではなかったけど潜在意識の中ではおそらく明確だったはず。出なければ、END UPこうはならなかったと思うし・・・ 今も英語はうまくはないけど、わたし1人でも生きていけるくらいの力はついてます!自分でもとても驚いている・・・でも、これはある時自分で自分を崖から突き落とすことが必要かもしれません👍わたしが、たいした勉強もしないでなぜ壊れた英語でもコミュニケーションが取れるようになったのか???明日にでもその秘話をお伝えしましょう😜 -To be continued- 🔻クリックしていただけると励みになります🙇♀️ にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
夫と出会ってしまった、サーファーズパラダイスのバックパッカー?!(その3)
確かに、行ってみたらとっても感じのいいかっぷくのいいすげーでっかいおっさんが出迎えてくれた!デーブさん😊 友達とわたし予約してなかったけど、一部屋にベット二つある部屋を貸してくれた。いくらだったかな?確か一部屋それか1人かな?70ドルPer weekだったかな?忘れてしまった。ほらね、人間の記憶って当てになんないでしょ? それより何に驚いたか!わたし英語できない、しかもおっさんが言ってること全くわかんないーーーーっ。しかも、オーストラリアのアクセントがアメリカ英語が耳に慣れるわたしにとってもう・・・このアクセントが曲者〜。デーブさんPayと言ったのにわたしには”Pie”にしか聞こえなかった😅 しかも英語できないから全く前後の話からもこれがPAYとは予想もできない・・・。いや〜こんなんで大丈夫なのかね?って今のわたしは思うけど、当時のわたしはまーったく心配もしてませんわ✌️ とりあえず、住むところ確保!バスであったお兄さんいい人でよかった〜。この時、このバッパーはとにかく国際色豊かでいろんな国の人がいた!その中でも日本人が結構いたので、余計快適に感じてしまった。しかも、友達という通訳付き😁あー楽しい💕 ついた日が日曜日で、サーファーズに今はもうないけど、Shootersと言うクラブがあってここで日曜日ビュッフェ式のFREE MEALがあると!バックパッカーの人がここにステイしている人を連れて行ってくれた〜。なんかここに来てからいいことばかり。なんか、カタコト日本語話す人がいて『道を渡ろうぜ〜』って言ってる? そうなんです!このカタコトの日本語を話す人・・・この人が後のわたしの夫になる人😳タダ飯は、まータダだからね。こんなもんと思うけど、そこで飲んだりビリヤードしたりと結構楽しみました。英語できなくても意外と飲んじゃえばいけるもんだなって→わたし酒弱いのにね😅 こうしてオーストラリアについて4日後1996年2月18日未来の夫に出会ってしまったのでした!!!めでたし、めでたし?だったのかな〜😂 -To be continued- 🔻クリックしていただけると励みになります🙇♀️ にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
夫と出会ってしまった、サーファーズパラダイスのバックパッカー?!(その2)
そう、電車でサーファーズまで行くことに決めて駅でチケット購入・・・一気に行くつもりはなかったから、休みながら時間をかけて行こうと思ってた。でっかいスーツケースを2人でコロコロして電車に乗り込む。椅子にクッションないの?めっちゃ固いんですけど?これでNewCastleまで行くって・・・どんくらいかかんだろう。お尻が痛い。まーいい。友達と話しながらワクワク感隠しきれない! 外はだいぶ暗くなってきてたjけど、なんとか到着〜。ってしたら、なんかアナウンスでここから電車ないみたいなこと言ってるって友達が! えーーーーーーっ、どうする?電車ではサーファーズまでいけないの?はい、いけないみたいです😅ってか下調べしてから旅しろよって話なんですけど、本当に行き当たりばったりの旅してました!なんで、今晩はここでモーテルにでもステイしてって思ったんだけどね。知らなかったんだけど、27年前のオーストラリアは週末となるとほとんどの店が閉まっているか、早くに閉店してしまうようで・・・それも知らなかったんだけどね?友達が英語できて助かったー🙏 駅近くのあまり綺麗ではないモーテルだったけど、外も暗くなってきたしとりあえずここでいいかとフロント行って一泊すると言ったら、まー1部屋60ドルだったけど、決めたの。でも、後になって気づいたけど思いっきりぼったくられてました😱😱😱 気を取り直して、またシドニーへ電車で戻ってしまった(えーーーーーっ😨)だって、よくわかんなかったから。シドニーから長距離バスがあるらしくそれで15時間いろんなところで止まってサーファーズにつくらしい・・・。ま、何よりもこのバスに乗っていれば着くことはわかったから、化粧全部落としてあとは寝てよ〜って。友達はメイクは落とさないって言ってたけど?顔に何か張り付いているって長距離車に乗ってたら辛くない?→彼女は大丈夫!毎回トイレや食事休憩ごとに化粧直ししてた・・・すごい、ある意味尊敬する。 それにしても、オーストラリアってでっけーな〜。シドニー→サーファーズの距離ってほぼ日本縦断できるくらいじゃない?まじで長かった。Postcode 4217バスターミナルに到着〜あ、どこに行ったらいいだろうね?友達とどうしようかなんて話してた時、ちょうどバスで一緒に乗ってた日本人の男子発見!なんか小さいゴリラみたいな自然児! 友達と私)ねぇねぇ、これからどこ行くの? 自然児)日本人にとてもフレンドリーなバックパッカーに今から行こうと思ってます、すでに予約したんで・・・ 友達と私)じゃ、私たちもついていく〜どこなの?どこどこ? 彼の後をでっかいスーツケースをコロコロしながらついて行くことに。バックパッカーって何?って話で・・・それも知らなかったのよね?! おいおい、こんなんで大丈夫かね?私たちは予約すらしてないけど。大丈夫なのかな。って今なら思うけど、当時のわたしはNO PROBLEMです。ここでステイできんのかな?”Couple O’ Days Backpackers” って名前のバックパッカーだった。今もあるみたいだけどオーナーは変わったんだろうな。何せ27年前だし、道の名前も変わってしまったしね。ここからサーファーズの生活が始まっちゃうのかな〜 つづく・・・ -To be continued- 🔻クリックしていただけると励みになります🙇♀️ にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
夫と出会ってしまった、サーファーズパラダイスのバックパッカー?!(その1)
サーファーズといえば・・・夫とわたしが27年前に初めて出会ったところ!友達からオーストラリアにWHに行かない?って誘われて、とにかく外国へ行きたいわたしは、二つ返事で『いいよ〜』って軽く・・・当時、東京恵比寿にあるホテルで働いてたわたしは、金を稼いでいた分毎晩のように仕事が終わったらみんなで飲みに(わたしは酒に弱い・・・)行って遊び呆けていた。友達から誘われていたWHのこともすっかり忘れてアホみたいに毎日無意味に時間を使うことを楽しんでいた矢先に。 友達から、ごめんもう待てないわ。私、1人でWHいく!って言われて1995年の年末・・・慌てて『ちょっとまったーすぐに準備するから1ヶ月ください。』とお願いして、まってもらいその間に使い切っちゃったお金をなんとか20万貯めて?んんん、それじゃ50万の銀行の残高証明取れませんね😅 なんでいろんなところからお金借りて残高証明とってからまら返したのよね〜。やることが無計画すぎでしょ?!ま、のちにこういう行動の皺寄せきちゃうんだけどね?そして、片道航空券で・・・”Let’s Go !!!” という運びで😅 シドニーINで、初日疲れたからホテルでも泊まろうって思いっきりチャイナタウンの一角で。綺麗なホテル一泊60ドルだったかな?当時で言ったらえっらい高い!!でも、金銭感覚狂ってるから大丈夫。しかも、わたしの友達金持ちのお嬢さんでお金の心配まるでないからね?ははは。だけど・・・昔行ったアメリカ、サンディエゴとは雰囲気違う〜わたしのイメージではあそこが外国だったのに?輪をかけてチャイナタウンだからね、場所も悪い👎 Palm Treeない・・・ビーチない・・・。なんか全く思い描いた生活と違う😳 友達とわたし、どこか違う街へ行こうと地球の歩き方で行き先を決めた!サーファーズパラダイスだって〜なんかこの写真イメージ通りだわ😍 翌朝ホテルキャンセルしてサーファーズへ向かうことに✌️ タクシーでシドニーのCBDへ。タクシーの運転手さんにサーファーズってどんなとこか聞いたらビーチの綺麗ないいところだよ〜ってさ。ますます行きたい、興奮最高潮!このタクシーの運転手さんめっちゃいい人だったんだけど、やっぱり・・・日本にいる時玄関先に『目覚めよ』って冊子片手にくる人だ!なんだっけ、エホバの証人だっけ?全く同じだ『Wake Up』って書いてある小冊子降りる時にいただきました😳 どうやって行けばいいのかよくわかんなかったけど、電車で行けるみたいだから電車で行こ〜ってまた軽く電車でゴールドコーストへ行くことになったとさ・・・かくして、一体どんな旅になってどうやって出会っちゃったんでしょうね?つづくー✌️ -To be continued- 🔻クリックしていただけると励みになります🙇♀️ にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
スッゲー久しぶりに夫とサーファーズへ散歩に行ってみた😊
サーファーズといえば・・・夫とわたしが27年前に初めて出会ったところ!思い出深い場所ですわ。でもね、もうだいぶ時間が経ったから当時の面影ほとんどない、残念ながら😅コロナの影響をサーファーズはもろに受けたからね、観光地だし!ほとんどの店が潰れて行って復興してないところもたくさんある・・・😢 なのに新しいハイライズが軒並み建っていく?この不思議?金持ちはどんどん金持ちになり、貧乏人はどんどん貧乏になっていくのかね? ま〜なにもないところは、昔と何も変わってないか?!だけど、その当時は本当に見るもの全てが新しくてね。スーパーマーケットに入った時の匂い、今でも忘れないわ。なんか強烈な香水なのかなんなのかわかんないけど、独特の匂い。スーパーの中で写真撮りまくったり、ビーチ行ったり、毎日何もしないって暇だなって感じるようになったのも覚えている・・・(何より無計画で来ちゃったからね) ある時ふっと思ったんだけど、前にアメリカのサンディエゴに行った時は、黒人がいたのにオーストラリア黒人いない!あ、そうね昔世界史で習ったけど”白豪主義”だったわ。驚くほどに白人とあとちょっとアジア人、わたしがきた当時は日本人が圧倒的に多かった。バブルの影響で金持ちがこぞってオーストラリアの土地やらマンションを買いまくってたからね。あとは、意外とオージーの女のが小さくてスタイルが悪いなって思ったな。17歳でサンディエゴ行った時は、このお姉ちゃんたちには勝ち目ないって勝手に思ったけど、ここのお姉ちゃんたちには勝てるとも勝手に思った😂 そして、ゴールドコーストは特に、その昔ここに住んでいたAborigine(先住民)たちをイギリス人たちが火炎放射器で焼き殺してしまったことから、先住民はここへ戻ってくることはなかったそうです。そりゃそうですよね?元々自分達の土地によそ者が入ってきて皆殺しなんてありえない・・・川に毒も流したりもしていたそうです。ひどい話です🤬 こういう話は、後々聞いたんですけど最初は本当にオーストラリアのイメージ悪かった〜。なんて田舎に来ちゃったんだろって。これも、何の不自由もない東京から来た都会の無知な娘でしたからね。今も、国のやり方には全然興味ないけどオーストラリアの自然は最高よ!毎回言うけど、これだけは保証します!とても綺麗な国です、オーストラリア❤️ 今日の夕暮れ時のなんともいえない綺麗な色・・・💕やばい・・・美しすぎ。こんなのみたらなんてわたしって、恵まれているんだろうって感じずにはいられない🙏 こんな空見たら文句を言う理由がないわ。人生って素晴らしい〜 さっき人種の話したけど、今はもうインターナショナルでいろんな国の人いっぱい!それはそれでいろんな人に会えて楽しいけど・・・今はインド人がたーくさん、”Indian Paradise” になっちゃてます😂 -To be continued- 🔻クリックしていただけると励みになります🙇♀️ にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
写真送ってくれました〜Tちゃんありがと💕
今月初めまで、お店で働いてくれたWHのTちゃん、元消防士!彼女のSさんが来てファームへ旅立ってしまいました😢 行った先は”Coffs Harbour”!!とても綺麗なところですよ。ぜひ、綺麗な自然を見に行って欲しいです。わたしは、シドニーへ行く途中で休憩で止まったくらいですけど、綺麗な町の印象が残ってます。 Tちゃんはサーファー!しばらくは、サーフィン三昧するって言ってたっけ?彼を初めて見た時、もう昭和の匂いがするする。だけど、わたしの息子よりも全然若い😆 それでも、こんなおばさんとも良く話してくれて、昭和の話とかしても話に乗ってくれるという、素敵な青年❤️仕事はといえば、結構マイペースでわたしは丁寧に仕事をしてくれるので好きだったけど、何せ忙しいお店なので動きが遅いと思われちゃったかもね?もう今更いいね、だってすでにMOVE ONしたんだから!よかった、よかった。 とはいえ、わたしは初日見た時から彼のファン!しかもね〜ラーメン出す時わたしが先に行ったらすぐに後から来て、『僕がいきます!』って言ってくれるのよ〜😍この『僕が』これがポイント高いよね!ただ単に、ラーメン運びますって言ってくるより自分がを主張してくれたら、『はい、お願いします!』って言いたくなっちゃうもんな〜。そんなTちゃんも大好きでした!! 写真家の彼女Sさんと幸せに暮らしてくれることを願う!そして、約束していた写真。サーフィンかっこよくしているところ、プロにとってもらって送って〜ってお願いしてたんだけど?今回は犬と戯れている写真でした😂 でも、可愛いから許しておこう😊 お似合いのカップルだったな〜もし、結婚したらなら素敵な家族を作ってくれるんだろうな。ヘラヘラしているようでしっかり自分の意思を持っているTちゃん、これからの世界を頼んだよ🙏 素敵な人は必ず素敵な人を育ててくれると信じてます!気持ちのいい人の気持ちは伝染させてほしいわ👍 Tちゃん、Sさん寒いからね体に十分気をつけて、サーフィンもファームJOB頑張ってね✌️いつかまた元気な姿を見せてください〜〜〜!! -To be continued- 🔻クリックしていただけると励みになります🙇♀️ にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村